こんにちは!アナログママです。
今回は、大学3年になる娘についてお話したいと思います。 以前の内容と重複する部分もあるかと思いますが、ご了承ください。
娘の中学受験時は、ほったらかしで塾任せだった兄とは違い、小5からスタートしたものの、受験には無理があるのを夫婦で感じながら毎日手探りの日々でした。
計算力とスピードも中学受験には必要。
小5の1年間は公文にも通い、主人も問題を出して親子で勉強の時間を作るなど工夫しながらの2年間でした。塾に向かう車の中でも問題を出しながら、時間を工夫するなど……。
そして、まさかの小6の夏に転塾。さらに夏休みが終わると元の塾に戻る大失態。 さらに1月受験の前月の12月には、「受験やめたい」と言い出す始末。
主人は塾を休ませて娘とアイススケートに行き、気分転換をさせる荒療治をしながら受験に臨むことにしました。
実際には6校受験をし、3校合格、3校不合格。 1校目の不合格から始まり、合格と不合格を繰り返したジェットコースター受験は親子にとって本当にきつい時間でした。 私もボロボロなメンタルでしたし、第一希望は最後までCD判定で、受かるはずもないと思いながらも、明るい声かけだけは忘れないようにしていたことを思い出します。正直、親としてやることがそれしか見つからない極限の状況だったのです。
娘は強運の持ち主で、一番苦手な算数で前日に主人と解いた過去問が二問出るなどの奇跡もあり、第一希望に合格し、進学することになりました。 CD判定からの合格だったため、入学しても底辺の底辺でついていけるのか心配でしたが、意外にもテストでは学年の真ん中くらいの成績でした。
中学では強豪の運動部に所属し、中高6年間を運動部活で過ごしました。全国大会出場を決めるも、コロナ禍で開催されなかったのは今でも残念な気持ちでいっぱいです。 高校に進み、大学進学を考えたとき、主人が単身で東京にいたこともあり、「大学は東京方面で一人暮らしでもいいし、娘と主人と家族で東京暮らしもいい」と考え、何校かオープンキャンパスに行きました。
しかし娘は福岡と自宅が大好き。一人暮らしや県外の選択もなく、結局、附属大学の指定校推薦をいただき、外国語学部に進学することになりました。「 親元を離れて一人暮らしがしたい!」というのが世間一般の女子高生かと思いましたけど(笑)。
息子の学校とは真逆で、指定校推薦の枠に魅力的な大学がたくさんあり、私立ならではの魅力も改めて感じました。指定校推薦枠の争奪戦の話も、後々ママ友から聞き、これもまたすごい私立の世界だと感じたものです。
指定校推薦といっても高校のテストの評定が必要なので日々の勉強の努力はありましたが、塾に通うことなく勉強と部活を両立しながら大学が決まり、大学入学共通テストも受けていないので、親としてはストレスフリーでした。 大学に進学した娘は、またもや(笑) 高校時代と変わらないガチの運動部に入部し、西日本インカレ、全日本インカレに出場。現在は主将をしています。どれだけ部活好きなんですかね?(笑)
外国語学部では留学制度もたくさんありましたが、2歳年上の兄に学費がかかりすぎているのを遠慮したのか、部活が忙しいのか、愛犬と離れたくないのか、留学には行きませんでした。ここは親としても反省です。
そしていよいよ就活だというのに、エンジンがかからないようで……。悩みの種ではありますが、スイッチが入ればきちんとやる子なので、そこまで心配はしていません。 今でも附属高校との練習試合があるため、部活の顧問の先生とは中学から始まり10年のお付き合いになります。最近では娘の化粧の評価や恋愛についても先生が気にかけてくださっています。
私立の先生は異動が少ないので、長いお付き合いができるのも大きな魅力です。 皆さんそれぞれの家庭で、中学受験後のゴールは様々だと思います。 我が家は娘の中学受験時は大変ではあったものの、中高大と本人も楽しくやりたいことができ、出会った先生や友達、先輩後輩もとても良い関係でした。結果として、親も娘もストレスフリーだったため、息子以上に娘こそ中学受験をしてよかったと思っています。
小6の受験生は、親子共にまさに今が一番大変な時期になりますが、我が家の12月は「受験もうやめる!」の時期でしたから・・・・(笑)。
中学受験は人生のスタートです。成功も失敗もありません。
早い方は1月から受験が始まると思いますが、どうか、いい笑顔で送りだしてあげてください。
次回は「夫編」をお伝えします。

アナログママ代表 村上 みゆき。受験スケジュール帳の考案者。長野県出身。福岡在住。1971年生まれ。パイロットを目指す大学3年生の長男と外国語学部で学ぶ大学1年生の長女の母親。