僕は2023年4月に東大に入学し、授業に面白みが感じられなくてあまり真面目に通わず、どうするか迷った末同年12月から休学しました。2024年9月いっぱいをもって休学期間を終了し、学年的には2年生ですが、来月から復学してもう一度1年生として授業を受ける生活に戻ります。今回はそんな僕が休学期間を経て気付いたこと、内から見たとも外から見たとも言えない微妙な距離から見た東大を書いて行こうと思います。3.4年生で休学する東大生はそれなりにいますが、1年生で休学する東大生はほとんど聞いたことがないので、今の僕だからこそ書ける内容になると思います。
なぜ休学したか ~東大の愚痴~
東大で休学する人の理由の大半は留学やインターンなど何かしらの理由があるのですが、僕は学外でやることが決まっているから休学した訳ではありませんでした。
元々高校時代から勉強に興味はあったし政治学をやりたくて東大に行こうと思ったものの、やりたい勉強があれば授業を受けるより自分で本を読んでできるし、興味が沢山あるので授業や課題やテスト勉強の時間よりも自分で手と足を使って好奇心を満たしたい性分なので、大学自体合わなさそうだと予想していました。実際東大に入ってみると面白い人仲良くなりたい人とは沢山出会えたし魅力的なプログラムやサークルにも入って充実した生活を過ごせたものの、授業は想像以上に期待外れでした。
特に学部が決まっておらず浅く広く学ぶ前期教養課程(1.2年生)は授業の半分は必修で埋まります。スペイン語3時間、英語2時間、論文の書き方を学ぶ授業1時間、情報と体育1時間ずつといった感じです。残り半分の選択科目もなんでも選んで良い訳ではなく進学に必要な制限の中で選ぶので自由度が低いです。スペイン語も全くできないのにイタリア語もやらなきゃいけなかったりします。よって僕が学びたかった勉強は、大学でやる勉強全体の1/5くらいしかできず、効率の悪さを感じてしまいました。
必修も面白かったら良いのですが、英語の授業で英文和訳や並び替え問題をさせられて、大学に入ってもまだ受験勉強みたいな英語をやらなければいけないのかと思い、正直ここはがっかりしました。スペイン語も堅苦しい文法の授業と、小テストでも「この単語も文法的役割を答えなさい」と聞かれて日本語の文法用語を回答するテストで、日本の外国語教育の下手さが東大の授業でも染み付いているのに驚きました。だからほとんどの東大生はスペイン語の授業を修了してもスペイン語が喋れるようにならないんだと合点がいきました。
いちいち必修とか設けられなくても、東大生ほどの学習能力があれば自分が必要だと感じた時に必要な勉強をするし、放っておいても何かに興味を持って勉強するのに、がんじがらめにして何がしたいのだろうと、東大の教育方針が全く理解できませんでした。
一方でやりたいことは沢山ありました。高校3年生の1年間は受験勉強に時間を割いていたので、半年1年くらい勉強から離れて自分と向き合う時間が欲しかったです。憧れてた海外の色々な国に行って物見遊山をしながら文化を吸収する。そして最近興味の湧いてきた映画業界の勉強をするために映画会社でインターンをしたり、そもそも映画の見る量が少ないので一日中見てみたい。
そっちを考えている方が圧倒的にワクワクしました。大学の授業がつまらないと感じながら過ごす大学生活よりも、一旦フリーになってフットワーク軽く自分の興味にどんどん片足を突っ込んでいく大学生活をしたいと思い、休学を決めました。
小学生くらいの時は自分が留年することなど考えたことなく、超ストレートで社会に出る想像しかしていなかったので、休学することで過去の自分の期待を裏切ることになって、そこは少し迷いましたが、元々大学もサボりがちだったこともあって割とすんなり休学を決めました。
休学中は東宝で短期間働いたり、東大のプログラムでハーバード大学に1週間行ってそのままヨーロッパを2ヶ月間バックパックしたり、ソウル大学で東アジアトップ大の生徒達と政治系の議論をしたり、一日に映画を3.4本見る1ヶ月を過ごしたり、コントや演劇を作ったり、CHEFという映画に感化されて東京でキッチンカーを開いたりと、アクティブに動いていました。よかったら僕のInstagramをご覧ください。
休学明けに見た東大
そんな、東大での生活への不完全燃焼感から休学し、1年間海外で生活したり自分の興味を突き詰めたりする中で、入学当初に見えた東大像とは違う東大像が浮かび上がってきました。
入るまでは、東大生はみんな賢くて社会問題のことを考えていて議論を活発に交わしている優秀な人たちなんだろうなと想像していました。しかし入学して色んな東大生を見て、また東大と距離を取った視点から見ると、そんなことありませんでした。
言い方が難しいのですが、僕の独断と偏見で東大生を大きく2つにぶっつり分けるとしたら「東大に入れた人」と「東大に入った人」がいると感じました。
前者は、勉強は得意だし真面目にコツコツ頑張れるから東大には入れるし、入ってから授業は真面目に行くし単位は問題なく取れるけど、特にやりたいことがなくてどうすればいいか分からないタイプ。後者は、将来の目標から逆算して東大に入るメリットが勉強のコストより大きいから、ちゃちゃっと勉強して苦なく東大に入り、入るのがゴールではないので入ってから勉強にも元々やりたかったことにも打ち込めるタイプです。
僕の肌感、前者の「東大に入れた人」が東大生の7割、「東大に入った人」が3割という感覚です。
「東大に入れた人」は中学受験や高校受験の時から親や先生や周りの影響で高学歴な学校を目指して塾の宿題もちゃんとこなして、学校の成績も良いというタイプです。進学校の生徒の大部分や地方トップ校の生徒会長タイプの子に多い印象です。ある意味「良い子ちゃん」なので、言われたことを高次元でこなすことはできるし仕事もできるし頭もいいのですが、自分から問いを生み出したり行動したり何かアイデアを出すことには長けていません。東大に入ることに大きな価値を見出していて、東大に入ればどうにかなると思っているか、そう教えられて信じてきましたが、入ってみて、東大が必ずしも万能ではないことに気づくことが多いです。今までの人生から自然と既存の社会通念にしたがって生きてしまっていて、でもそこからはみ出したい気持ちもあるので、自由な生き方をする人を見て羨ましがるも、結局抜け出せない印象です。
「東大に入った人」は、あらゆる決断に対して人に委ねることなく常に自分で考えて自分で決断をしてきた人です。きっかけは親や先生や周りの影響で高学歴な学校を目指して、その延長線上に東大があるにせよ、東大に入ることにそこまで価値を見出しておらず、選択肢は自分で切り拓くものだと考えているので、東大に入ってからも自分のやりたいことに自分なりに打ち込んで、その過程で東大を利用します。ある意味色んなことを「舐めてる」人がこの人たちには多くて、東大自体も舐めてるので、東大に入ったから何かできるわけではなく結局自分で動かなければいけないことが分かっています。大学に入ってからは起業したり興味分野を研究したり、海外インターンや海外プログラムに積極的に参加したり、何につけても自分から情報を取りに行って人脈を作って常に暇してない印象です。話してて面白いし、僕はこういう人たちと関わりたいなと思います。他にも、逆に東大に入ってから潔く遊びまくってたりパチンコを攻略して月100万円近く稼いでいる人もいたり、そういう方向性で「舐めてる」人もいます。就職を一つのゴールとするならば、真面目すぎる人よりもそういった一見ちゃらんぽらんそうで、でもずる賢いタイプの人の方が良い就職先に受かってるケースも周りの先輩を見てて多いのが現実です。
客観視できていないと言われたらそれまでですが、僕は自分自身は後者の「東大に入った人」だと自覚しています。
小中高生のお子さんをお持ちの親御さんに勉強相談をされる時、とりあえず良い学校に行かせて選択肢を増やしてあげたいという方が多いです。確かに他の全てのステータスが同じだったら良い学校に行けば行くほど良いとは思うのですが、親のエリート思想を押し付けるせいで自分で考えて道を切り拓く力を失っては、むしろ選択肢を狭めてしまっていると思います。
東大に行っても尚そこで個性を出して自分の道に進めるような人しか、東大に来る本当の意味は無いような気がしますし、逆にそういう人は東大に来なくても自分らしく生きていける人たちだと思います。
ドラゴン桜の「バカとブスこそ東大に行け!」は、「自分で考えて自分で決断できるバカ(とブス)こそ東大に行け!」の方が正しいと思います。
まとめ
これから東大に復学して色んな授業を受けて色んな東大生と接する中で、復学後の東大生像はまた変わってくると思うので、それもまた記事にしたいと思います! まとめると、僕は休学して時間を作ったお陰で色んな経験をしましたが、たまに休学せずに授業もフル単で取って同時に自分のやりたいことも全てやる東大生がいるのですが、そのバイタリティと遂行能力に、こいつすげぇ…と唸ります。そういう人のことを僕は、「東大に入った人」のさらに上の、「しょうがないから東大に入ってやった人」と呼んでいます。
著者紹介
藤原 遥人(ふじわら はると)
学校で教えないことを高校生が中学生に教え、勉強の面白さを伝える塾、寺子屋ISHIZUEの創業者。開成高校卒業。現在東京大学文科一類に在学中。大学ではダンスサークルとジャズオーケストラのピアノ担当で活動中。