数学の“ムズカシサ”
数学はムズカシイ。
先生と生徒の双方がそう思っています。
「わかんないよ」「もっとわかりやすくおしえて」「ねえ先生、この問題どう解くの」という小学生・中学生・高校生。
「わかりやすく教えるにはどうしたらいいか」「もっと簡単な解き方を」「もっとわかりやすい解説を」と授業の準備をする先生。
双方とも頭を抱えています。でもなぜそんなに頭を悩ませ数学に取り組まなければならないのでしょうか。答えはカンタン。試験・受験のためです。
数学の点数が成績の良し悪し、受験の合否に直結します。その意味で数学はたしかにムズカシイ。数学の試験の問題がカンタンだったら成績の優劣も入学選抜もできません。それでは役に立ちません。
問題作成する先生はカンタンすぎずムズカシすぎないちょうどいい案配の問題を考えることに苦心惨憺します。
さて、そんなムズカシイ数学ですが、試験のことを脇に置いて考えたとしても「なぜこんなに勉強しなければならないの」「こんな公式覚えて何の役に立つのだろう」「数学の何が面白いというの」といったそもそもの疑問が浮かんできます。
現在の教科書にはその辺のことについてもそれなりに書かれてあります。でもそこに書かれていることは試験にはでません。ちゃんと授業で時間が割かれることはないのが現状です。
数学の“難しさ”
数学の教科書からふと感じる素朴な疑問にこそ数学の本当の難しさが潜んでいます。2つ例の考えてみましょう。
例1「数と数字の違い」
問題 数と数字の違いを説明してください。
「えっ、どういうこと!?そんな問題、テストに出されたことない」と反応が返ってきそうです。
答えは、「数はものを数えて得られる値(個数・順序)で抽象的概念。数字は数を表す文字・シンボル」です。
すんなりと納得できますか。数は概念です。難しい言葉で言えばイデア(ギリシャ語。英語のアイデアidea)の存在です。リンゴが1個、鉛筆が1本、葉っぱが1枚と私たちは1という数を何気なく使っていますが、目に見えるモノ──リンゴ、鉛筆、葉っぱの背後に目に見えない1という数があることに私たち人類が気づくのにどれだけ長い時間が必要だったことか。
数(という考え方)は私たちの思考の中にしかない存在、すなわち目に見えない存在だということです。想像してみてください、見えないものに気づくことの難しさを。遠い昔、数の考え方に気づいていなかった私たちの先祖は、狩りの獲物や農作物の数を様々なモノを使って表していました。
動物の骨に刻みを入れたり、縄や小石を使っていました。私たち人類の先祖は数百万年前に誕生したと言われています。実に気の遠くなるような間、数の存在に気づくことなく暮らしていました。
それに対して数学が誕生したのはほんの数千年前のことです。現代の数学の大本になる教科書──ユークリッドの『原論』──は紀元前3世紀に古代ギリシャでつくられました。この時、ようやく数の概念が明らかになりはじめました。
約六千年前のメソポタミア地方のシュメール人は数字を発明しています。アラビア数字と呼ばれる数字は元々古代インドでデザインされたインド数字です。それが古代ギリシャ、アラビアと渡り、15世紀ヨーロッパに渡りグーテンベルクの活版印刷技術により現在の形になりました。
数千年の間、世界中を旅した数字がアラビア数字です。インド数字をデザインした古代インド人は、何もないことを表す数、0(ゼロ)を考え出しました。何もないことを表す方法を考える、まさにこれこそがイデアです。
その0(ゼロ)が普及するまでにも長い時間がかかっています。数学が発達したアラビアでさえ0は怖いものとして恐れられた存在だったようです。一般の人々に気軽に使われてはいませんでした。
現代人からしてみればそのこと自体がにわかには信じがたいことかもしれません。でも私たち人類は数百万という途方もなく長い間、数も数字もなく生きていました。その結果、数は発見され、数字は発明されました。
例2「直線とは幅がゼロで長さが無限」
数と同様に形も概念、イデアの存在です。点とは大きさ(面積)がゼロです。直線は点が集まってできると考えると幅がゼロです。そしてその両端は無限にのびています。そんなものはこの世には存在しません。
ノートの上に鉛筆で描いた点も直線も本当の点と直線ではありません。数学の点と直線とは数と同じく概念、イデアとして存在します。まさに点と直線は目に見えない、さわれない、色も匂いもない存在なのです。
これがユークリッドの『原論』で説かれた数学です。先生は仕方がないので黒板にチョークで描いて説明しますが、授業を受ける人はそれを数学の図形と思ってはいけません。その図の背後にある目に見えない図形──点・直線・曲線を想起しなければ数学がわかったことにはならないということです。
高校数学で微分・積分が登場します。曲線と接線、曲線で囲まれた図形の面積などを計算する技術が微分・積分です。この場合も黒板にチョークで描かれた曲線を本当のものと捉えてしまうと実はおかしな状況(数学は矛盾、不合理といったりします)になり理解に苦しむことになります。点は大きさがゼロ、直線は幅がゼロと翻訳して考えることでつじつまが合う理解が得られます。
円周率πは3.14…であることは良く知られています。でもなぜπが3.14…なのか、高校数学の教科書にも証明は書かれていません。したがって大学入試の数学でもこれまで「πが3.14…であることを証明しなさい」という問題は出題されたことがありません。
πは本当に難しいからです。
πが3.14…であることが証明されたのは紀元前3世紀、古代ギリシャの数学者アルキメデスによってです。紀元前2千年、古代エジプトでπは3.1…まで明らかにされました。つまり、3.1から3.14がわかるまでに1700年もかかったことになります。
古代エジプトとアルキメデスの違いこそ数学の違いです。古代エジプトでは円に内接する正6角形の周の長さからπの近似値を3.125とはじき出しました。正6角形ならば実際に描くことができます。それ以上の多角形を用いればさらに正確な値が得られますが、実際に描くことが難しくなります。
そこでアルキメデスは正6角形からはじめて12、24、48、最後に正96角形を考えることでπが3.14…であることを突き止めました。この図形は実際に描くことは不可能です。アルキメデスは頭の中に、すなわち概念・イデアの存在としての図形を描きました。
頭の中であれば線の幅がゼロの図形を描くことができます。これが数学です。以来今日までπの本当の値を求める挑戦は続いています。
手がかりになる数学の言葉
数も図形も私たちは小さい時から使っています。まさかこれほど難しい存在であるとは夢にも思わないでしょう。それは、概念・イデアの存在を表す言葉がすでにあるからです。
アラビア数字はもちろん、一十百千万億兆といった単位(数詞)があるおかげで日本人は大きな数を発したり、書いたりできます。
中学数学では1次関数、2次関数、高校数学では三角関数、指数関数、対数関数といった○○関数が立て続けに登場してきます。関数という概念はさらに難しく、18世紀から19世紀にかけてようやく出来上がりました。それでもひとたび概念ができあがるとそれを表す言葉(用語)もつくられます。
その言葉のおかげで難しい概念を手にすることが容易になります。概念の理解は難しいけれど、言葉があるおかげで計算することもできます。
数学の“難しさ”の中にみつかる数学の面白さ
ムズカシサではない難しさに数学の真の面白さがあります。幸運なことに私たち人間は目に見えない存在(概念、イデア、抽象的なこと)を操ることができます。
それは数学に限ったことではありません。芸術もそうです。形なきものを形に表現するのが芸術です。ショパンは難しい。ショパンを弾けるようになるために何年ものトレーニングが必要です。それほどまでにショパンの音楽には魅力があります。音楽は難しいからこそ面白い。
そして、一番目に見えない存在が私たちの心の世界です。誰も他人の喜びや悲しみを本当に知ることはできません。でも想像はできます。文学のフィールドは目に見えない心の世界です。
小学一年生の算数教科書の最初に登場する「かずとすうじ」。ここから伝わるのはけっして数学の試験のムズカシサではない数学の“難しさ”です。数学は概念──言葉で定義されるもの──でできています。
出来上がった数学の言葉に対して、それをいかに使いこなすかが問われるのが学校の試験で、ムズカシイ数学です。“難しい”数学は試験には出ません。試験に出ない数学には試験の点数とは比べものにならない大きな面白さ──数学の実力──が隠れています。
目に見えない数、大きさがない点、幅がない直線といったものを考えだしたことで、私たちは物事を考える画期的な方法を手にしたと言えます。その影響や威力はこれまでの連載でも紹介してきた通りです。
「数学は“ムズカシイ”から面白くない」から「数学は“難しい”から面白い」に気づけたとき、数学との新しい付き合い方がはじまります。“ムズカシイ”数学には挫折がつきものですが、“難しい”数学にはそれがありません。
学校の数学には「授業中にわからなくてはいけない」というトンデモナイ幻想があります。数学がわかるとは相当ハイレベルなことであり、ほとんどの場合わからなくても計算はできるようにできています。
“ムズカシイ”数学に挫折して数学をやめることはもったいない以外の何ものでもありません。「わからない」「難しい」のは当たり前、当然のこととして、数学をし続けることで数学がわかるようになり、数学を自分のものにできるようになります。
そもそも私たち人類がはじめから数学をわかったいたのではありません。何もわからないところからはじめて今日に到っています。わからないことをことさらネガティブにとらえるのではなく、大切にして付き合っていくことを人類の歴史がおしえてくれます。
執筆者プロフィール
桜井 進(さくらい すすむ)
1968年山形県東根市生まれ。サイエンスナビゲーターⓇ。株式会社sakurAi Science Factory 代表取締役CEO。東京理科大学大学院非常講師。東京工業大学理学部数学科卒。同大学大学院院社会理工学研究科博士課程中退。小学生からお年寄りまで、誰でも楽しめて体験できる数学エンターテイメントは日本全国で反響を呼び、テレビ・新聞・雑誌など多くのメディアに出演。著書に『雪月花の数学』『感動する!数学』『わくわく数の世界の大冒険』『面白くて眠れなくなる数学』など50冊以上。
サイエンスナビゲーターは株式会社sakurAi Science Factoryの登録商標です。
桜井進WebSite