“数学”=学校の数学とMathematics=「私の数学」
本連載では“数学”とMathematics(またはMath)を使い分けます。わが国で数学と言えば、一般に連想されるのが学校の数学だからです。もちろん学問としての数学は英語のMathematicsの訳でもあります。学問としての数学に知見のある人ならば、数学をTPOでその意味を使い分けることができます。
数学と言えば学校の数学を連想する多数の日本人がいるという前提で、“数学”=学校の数学と「私の数学」を使い分けることにします。“数学”とMathematicsを使い分けることで、“数学”は日本、Mathematicsは世界(日本も含む)という意味合いもつくので好都合だと考えています。
実はさらに深い意味合いもあるのですが、それは追々語っていくことにして、以下に“数学”とMathematicsの対比を見ていきます。
受験に役立つ“数学”
これはやさしい言い方です。受験にしか役に立たない学校の数学と言えばキツくなりますが、現実はそうです。もちろん「そんなことはない!」と反論が出るでしょう。筆者自身もそうです。受験以外にも大いに役立っています。
しかし冷静に考えて、中学・高校で学ぶ公式がその後の人生で役立つどころか使うことになるという人はごく僅かでしょう。2次方程式の解の公式も三角関数もほとんどテストのためにしか役立たないのです。
中学・高校で数学がテスト以外に関心が向かなくなるのは当然でしょう。算数・数学嫌いがつくられる現場は学校の数学です。何度も言って恐縮なのですが、筆者は学校の数学やテスト・受験を悪い意味で批判したり(批判自体は大切です)否定しているのではありません。その逆であり、学校の数学・テスト・受験は社会にとって必須なシステムです。数学が学校にしかないことが問題だということです
では役立つ数学を学校でも教えればいいのではないかと思われますが、事情はそう簡単ではありません。
「世界は数学でできている。」で
始まる高校数学教科書「数学活用」
筆者は、数学がどれほど数学以外の世界で役立つかをちりばめた教科書の編著作者です。それが「数学活用」(啓林館、平成24年)です。芸術、音楽、日本人、数式処理システム、パズル、グラフ理論、政治、スポーツといった世界と数学との関わりをこれでもかと全ページフルカラーで編纂しました。
そもそもせっかく新しい数学活用という分野ができたのにも関わらず、教科書をつくったのは2社だけでした。それも啓林館以外の出版社は以前にあった「数学基礎」をベースにつくられたものでした。したがってゼロからつくりあげた教科書はこの1冊だけです。
ではこの教科書が学校現場に大きな反響なり影響を与えたのかと言えばそうではありませんでした。その理由は、数学科の先生がこの教科書になびかなかったからです。読む分にはとても興味深い面白い本です。しかし、これを教えることには相当な抵抗があったようです。
多くの数学の先生方からそのような感想を伺いました。もちろん「数学活用」は受験に役立たないどころか受験数学勉強の妨げにしかならないと思われることは仕方がないことです。
それでも我々著作者は、先生も生徒と共に知らない数学の世界を知ってほしいと願いこの教科書をつくりあげました。数学の先生にとって、この教科書を教えることよりも、受験の数学を教える方がよほど慣れています。
この結果がおしえてくれることは、「数学が役に立つことを教えるのは容易ではない」ということです。それでも筆者は大きな声で言います、「数学ほど役立つものはない」」と。
「数学活用」に登場した数学こそが“数学”ではなくMathematicsなのです。「役立つから数学に興味を持つ」は初学者にとってそれほど訴求力をもちません。Mathematicsは難しいからです。
ムズカシイ“数学”と難しいMathematics
数学はムズカシイ。
数学を教える側と教えられる側の双方がそう思っています。
「わかんないよ」「もっとわかりやすくおしえて」「ねえ先生、この問題どう解くの」という小学生・中学生・高校生。
「わかりやすく教えるにはどうしたらいいか」「もっと簡単な解き方を」「もっとわかりやすい解説を」と授業の準備をする先生。
双方とも頭を抱えています。でもなぜそんなに頭を悩ませ数学に取り組まなければならないのでしょうか。答えはカンタン。試験・受験のためです。数学の点数が成績の良し悪し、受験の合否に直結します。たしかに数学はムズカシイ。要は数学の試験の点数が問題だということです。
数学の試験の問題がカンタンだったら成績の優劣も入学選抜もできません。それでは役に立たないのです。問題を作成する先生は頭をカンタンすぎずムズカシすぎないちょうどいい案配の問題を考えることに苦心惨憺します。
さて、そんなムズカシイ数学ですが、試験のことを脇に置いて考えたとしても「なぜこんなに勉強しなければならないの」「こんな公式覚えて何の役に立つのだろう」「数学の何が面白いというの」といったそもそもの疑問が浮かんできます。現在の教科書にはその辺のことについてもそれなりに書かれてあります。でもそこに書かれていることは試験にはでません。ちゃんと授業で時間が割かれることはないのが現状です。
それに対して、ムズカシサではない難しさがあるのがMathematicsです。
数学の教科書からふと感じる素朴な疑問にこそ数学の本当の難しさが潜んでいます。2つ例の例で考えてみます。
例1「数と数字の違い」
問題 数と数字の違いを説明してください。
【連載:数学と言葉】第2回 数の言葉使いその2 数と数字のちがい説明できますか
で詳しく取り上げた内容です。
数は概念で、数字は概念である数を見えるように形にした文字・シンボルです。私たち人類が数を手に入れるためにどれほどの気の遠くなる年月が必要だったことか。
例2「直線とは幅がゼロで長さが無限」
数と同様に形も概念、イデアの存在です。点とは大きさ(面積)がゼロです。直線は点が集まってできると考えると幅がゼロです。そしてその両端は無限にのびています。そんなものはこの世には存在しません。
ノートの上に鉛筆で描いた点も直線も本当の点と直線ではありません。本当の点と直線は数と同じく概念、イデアとして存在します。まさに点と直線は目に見えない、さわれない、色も匂いもない存在なのです。これが数学における点と直線です。
先生は仕方がないので黒板にチョークで描いて説明しますが、授業を受ける人はそれを数学の図形と思ってはいけません。その図の背後にある目に見えない図形──点・直線・曲線を想起しなければ数学がわかったことにはならないということです。
高校数学で微分・積分が登場します。曲線と接線、曲線で囲まれた図形の面積などを計算する技術が微分・積分です。この場合も黒板にチョークで描かれた曲線を本当のものと捉えてしまうと実はおかしな状況(数学は矛盾、不合理といったりします)になり理解に苦しむことになります。点は大きさがゼロ、直線は幅がゼロと翻訳して考えることでつじつまが合う理解が得られます。
円周率πは3.14…であることは良く知られています。でもなぜπが3.14…なのか、高校数学の教科書にも証明は書かれていません。したがって大学入試の数学でもこれまで「πが3.14…であることを証明しなさい」という問題は出題されたことがありません。πは本当に難しいからです。
πが3.14…であることが証明されたのは紀元前3世紀。古代ギリシャの数学者アルキメデスです。紀元前2千年、古代エジプトでπは3.1…まで明らかにされました。つまり、3.1から3.14がわかるまでに1700年もかかったことになります。
古代エジプトとアルキメデスの違いこそ数学の違いです。古代エジプトでは円に内接する正6角形の周の長さからπの近似値を3.125とはじき出しました。正6角形ならば実際に描くことができます。それ以上の多角形を用いればさらに正確な値が得られますが、実際に描くことが難しくなります。
そこでアルキメデスは正6角形からはじめて12、24、48、最後に正96角形を考えることでπが3.14…であることを突き止めました。この図形は実際に描くことは不可能です。アルキメデスは頭の中に、すなわち概念・イデアの存在としての図形を描きました。頭の中であれば線の幅がゼロの図形を描くことができます。これがMathematicsです。以来今日までπの本当の値を求める挑戦は続いています。
「私の数学」で実感する数学(Mathematics)の面白さ
これがMathematicsの難しさです。ムズカシサではない難しさに数学の面白さがあります。私たち人間の頭脳は目に見えない存在(概念、イデア、抽象的なこと)を操ることができます。これが私たちに備わった知性(インテリジェンス)です。Mathematicsは知性に響くところに面白さがあります。
それは数学に限ったことではありません。芸術がそうです。形なきものを形に表現するのが芸術です。ショパンは難しい。ショパンを弾けるようになるために何年ものトレーニングが必要です。それほどまでにショパンの音楽には魅力があります。音楽は難しいからこそ面白い。
そして、一番目に見えない存在が私の心の世界です。誰も他人の喜びや悲しみを本当に知ることはできません。でも想像はできます。文学のフィールドが目に見えない心の世界です。
実は、数と数字は教科書に登場していました。小学一年生の算数教科書の最初が「かずとすうじ」でした。ぜひ見てみてください。ここから伝わるのはけっして数学の試験のムズカシサではない数学(Mathematics)の難しさです。
小学1年生の教科書を算数ではなくMathematicsの眼差しでみるとき、数学(Mathematics)の見方が変わってきます。数学の難しさを知ることが数学の面白さを知ることにつながります。
“数学”と「私の数学」、これだけで語り尽くすことはできないのでなかなかわかりづらいかもしれません。この後の連載でさらに紹介していきます。次回は「数学の学びのポートフォリオ 受験数学とMathematics」です。
執筆者プロフィール
桜井 進(さくらい すすむ)
1968年山形県東根市生まれ。サイエンスナビゲーターⓇ。株式会社sakurAi Science Factory 代表取締役CEO。東京理科大学大学院非常講師。東京工業大学理学部数学科卒。同大学大学院院社会理工学研究科博士課程中退。小学生からお年寄りまで、誰でも楽しめて体験できる数学エンターテイメントは日本全国で反響を呼び、テレビ・新聞・雑誌など多くのメディアに出演。著書に『雪月花の数学』『感動する!数学』『わくわく数の世界の大冒険』『面白くて眠れなくなる数学』など50冊以上。
サイエンスナビゲーターは株式会社sakurAi Science Factoryの登録商標です。
桜井進WebSite