前回の記事では「頭がいい人」がどんな受験勉強をするのかお話ししました。まだ記事を読んでいない方はこちらを先にお読みください。
前回の大まかな内容をまとめると、問題の正解不正解よりも毎回正解を出すための再現性に焦点を当てて復習し、自分の実力や勉強ペースを知った上で実現可能なスケジュールを立てつつ、必要のない勉強はしない思い切りの良さも持っているということでした。
今回はここまで6回分の記事を総括します。この連載は、僕の高校生活や学外での活動を通して沢山の優秀な人たちに出会えた経験を元に僕個人から見た「頭のよさ」を彼らの共通点などから仮説し分析する内容です。「頭がいい」と言うと一見それが正義の様に聞こえてしまうこともありますが、あくまでも生活を豊かにする可能性のある一つのツールであって、全てを犠牲にしてまで手に入れるべきものではないと考えていることは先に伝えさせていただきます。
誰にでも「頭のいい人」になるチャンスはある
まずここまでの内容をざっと振り返りましょう。
いつも一括りにして語られがちな「勉強ができる」と「頭がいい」は実は全く別物です。「勉強ができる」とは難しい言葉を難しい言葉のまま理解できたり、一度見たものを忘れずに記憶していたり、割り勘の計算を一瞬でできたりと、与えられた情報を速く正確に処理して答えのある問いに解答する能力。それに対して、「頭がいい」とはみんなが気付けないことに気付いたり、気持ちや状況など形のないものを言語化して相手に伝えるのがうまかったりと、答えのない問いを自分で作り出してその答えを生み出す能力だと、僕は定義しています。両者は全くの別物で、互いの弱点を補完し合う重要な能力です。
この「頭のよさ」は考え方や話し方、行動においてそれぞれ具体的な特徴を持っています。
「頭がいい人」の考え方には、物事を鵜呑みにせず、自分の立ち位置を客観視でき、すぐに結論付けないという特徴があります。誰かの脚色が入った情報や表現を見てもそれに踊らされず、自分の評価軸で解釈を与えて、新しい思考の枠組みを作った上で物事の是非を判断します。自分自身を評価する時も、その日の気分で変動したり、他人からの褒め言葉に安易に踊らされたりせず、客観的な評価軸に基づいて立ち位置を把握します。また、「こうすればこうなる」というA→Bが認められるほど世界はシンプルではないことを知っているので、自分を安心させるためにすぐに結論付けることはありません。どの特徴についても常に考える根拠となる知識や経験、思考の枠組みが備わっていることが前提にあるのです。
「頭のいい人」の話し方の特徴は、語彙力の高さと話の順序のわかりやすさ、みんなが気付かない切り口で話せることの3つです。語彙力にはなんとも言葉にしづらいなんとなくの状況や情景をバシッと言葉に当てはめて真意を伝える説明力と、本来一緒に使わない言葉同士を繋ぎ合わせて比喩的な言い回しを作る表現力があります。自分が思いつくままに話すのではなく、相手が理解しやすいように構造的に話したり、暗黙の了解となっている前提を見つけて疑うことで、みんなが気付かない側面に気付いて盲点をついたりすることができます。これらの共通項は、話す前に自分の頭の中で情報を整理できているか、自分の中で物事を捉える解像度をどこまで上げられるかが違いを生む点にあります。
最後に行動面においては、「頭がいい人」は知識を行動に反映でき、周りを見て自分のとるべき行動が分かります。学んだ内容を学びっぱなしにせず、自分自身に当てはめて日常生活の局面で存分に活かす。周りの人の様子を見て何が不足しているかを考え、自分がその立場に入って補う「空気を読む」行動を通して場を回す。これらの特性は、得た知識や周囲の情報に自分なりの解釈を入れて行動パターンを決定するため、情報の解釈の深さや発想力が幅を利かせます。
このような能力を兼ね備える「頭のよさ」は、日々本や映画、漫画を多く摂取したり沢山の大人や友人との会話を通して多様な「当たり前」に触れ、自分の常識を相対化する中で醸成されます。また、決められた範囲のことを、決められた目標達成のために勉強する受験勉強ではなく、自分の疑問を解決して自分自身を納得させるために勉強する自由研究的な学びをすることでも、「頭のよさ」は作られていきます。
一方で、いざ受験勉強をやるとなると「頭のよさ」は最大限に発揮されます。目前の点数を取るための付け焼き刃的な勉強を重ねるのではなく、本質を理解して極力暗記を抑え、たとえ本番でド忘れしても試験会場で一から知識を再現できるよう、数学の公式や歴史の用語は彼ら独自の「暗記」の仕方があります。そのためテストで何点取れたかよりも、なぜこの問題で間違えたのか、逆なぜこの問題は正解できたのか、ということに興味があります。また自分の勉強のペースや科目毎の得手不得手を把握しているので、何を重点的に勉強して何を削るのかを自分で正確に判断できます。
このように「頭のいい人」は普通の人よりも秀でた能力を持っている訳ですが、これらの能力は全ては後天的に身につけることができます。小学生の時の何も知らなかった自分が見る世界と、成長して挫折や不幸を乗り越えた自分が見る世界がまるっきり違うように、知識や経験を積み重ねれば誰もが昨日の自分より「頭がよく」なることができるのです。僕たちは幼少期から知らず知らずの内に隣の席の子や兄弟と比べて自分を卑下し、限界を作ってしまうことが多いですが、今日の自分は半年前の自分より多くのことを知ってるし、多くの経験をしています。他人と比べることが自分のやる気を引き出すことに繋がっても、自分が諦める理由を探すために使われては意味がありません。他人と比べるより、自分と比べて今日できることを坦々とこなしていきましょう。自分よりも「頭がいい」と思える人がいるならば、その人は自分よりもハイペースで知識や経験を吸収して、それをアウトプットし、場数を踏んできたからでしょう。逆に言えば自分もその人よりも速いペースで同じステップを踏めば、時間はかかっても超えることができるはずです。
「頭のよさ」とは引き出しの多さ
僕が【「頭がいい子」ってどんな子?】というテーマでこの連載を始めた理由の一つは、誰にでも「頭のいい人」になるチャンスはあることを伝えたかったからです。僕が見た限りですが、中学生の時の同級生の多くは志望校を自分の学力でいける範囲の学校の中から自動的に選ぶだけで、行きたい学校に自分の学力を合わせにいく子はいませんでした。受験直前期にその発想になってしまうのは仕方ないですが、中二や中三の頭の時期からその発想を持っている子が多かったことに僕は違和感を覚えていました。本気で努力する前に「俺にはできない」とか「それはお前だからできるんだ」とか、諦めの言葉を耳にすることも多かったです。本来勉強は自分の生き方を制限するものじゃなくて、自分の生き方の幅を広げてくれるものなのに、自分の成績や偏差値がその足枷になっていては本末転倒だと思いませんか。仮にここまでの記事を読んで自分や自分の子供にはできないと諦める気持ちになった方がいたら、是非認識を改めていただきたいです。「頭がいい」という能力は知識や経験に上乗せされるものですが、逆に知識や経験さえ積み上げてしまえば簡単に身につけることができるものなのです。
僕はこれまで沢山の優秀で面白い人と出会うことができたので、自分のことを「頭がいい」人間だと思っていませんが、昔の自分と比べたらずっと「頭がよく」なったと思います。中学生や高校生の前半までの僕は、世の中には正しい意見と間違っている意見しかなく、自分はそれを見分けることができると過信していました。最近では、意見の深さ浅さはあるとはいえ、どんなに非合理的で感情的な意見であっても、全ての意見が正しいのではないかと思うようになりました。相手の意見を理解できない時は、自分と相手が対極の位置で物事を考えているからだ。どの意見も正しくて、ただ立ち位置が違うだけなのだから、「誰が言っているか」で意見の優劣はつけられない。自分の意見は無数にある内の一つでしかないし、今ある社会体制も道徳も家族関係も、歴史的に見たら仮初めのものでしかない、そう思うようになったのです。数年前の自分に比べて、今は自分の常識を相対化してどんな意見も否定せずに受け入れられるようになってきていると思います。
自分の常識を相対化するために、毎日最低一つ新しいことにチャレンジして新しい情報や作品に触れることを意識しています。毎日同じ生活を送っていたらそれ以外の生活や価値観を受け入れられない頭でっかちな性格になってしまいそうだからです。例えば選択授業で隣になった子に話しかけてみたり、適当な時間に映画館に行って次に始まる作品を観てみたり、全く系統の違う服を着る友達にコーディネートしてもらったり、用事はないけど行ったことのない駅に降りてみたり、ラーメン屋でメニューの一番端のラーメンを頼んでみたり、コンビニで飲んだことないジュースを買ってみたり、どんな小さな発見でも見つけられたら儲けものです。結局、「頭のよさ」とは引き出しを何個持っているかだと思います。先入観を捨てて自分なりの判断基準で物事を考えることも、高い語彙力とトークの順序で自分だけの切り口から話し出すのも、周りを見て自分の取る行動を変幻自在に変えるのも、どれも自分の頭の中に備わっている思考回路の数がものを言います。一日一個引き出しを増やせるように、楽しみながら毎日を過ごしてみませんか。
ここまで記事を読んでくださった方は、是非今日から何か一つ新しいことにチャレンジしてみてください。今までの自分ならやったことのない選択をし、多くの情報や作品に触れて自分の常識を最小化して、日常のいろんなことに疑問を持つ姿勢が生まれたらこっちのものです。昨日より今日、今日より明日、きっと「頭がよく」なっているはずです。
再三にわたり恐縮ですが、「頭のよさ」は才能や天才の所業ではなく、知識と経験の積み重ねで誰でも獲得できる能力で、日々一歩ずつ前進することができるものです。逆に、一朝一夕に身につくものではありません。僕の記事が、あなたにとって新しい発見をもたらすことができたら嬉しいです。ここまで連載を読んでくださりありがとうございました!
著者紹介
藤原 遥人(ふじわら はると)
学校で教えないことを高校生が中学生に教え、勉強の面白さを伝える塾、寺子屋ISHIZUEの創業者。現在開成高校3年生。受験指導ではない、自分で考えて人に伝える力を育てる塾の運営経験から「誰かに何かを教える」教育の難しさを実感し、自らの学を深める大学生活をおくるため受験勉強に奮闘中。趣味はピアノとサッカーとダンス。