「息子が自ら勉強するようになるプロジェクト」という半年間の連載記事の反響をいただき、第2期の連載をさせていただくことになりました。今回は「頭がいい子」ってどんな子?というテーマで全7回にわたる連載となります。このテーマを選んだのは、僕の高校生活や学外での活動を通して今まで出会ったことのない優秀な人たちに沢山出会えたことで僕の中にあった「頭がいい」の基準が塗り替えられたからでして、この経験を踏まえて改めて「頭がいい」を定義したら新しい視点が得られるかもしれないと思い、このテーマに決めました。
「頭のよさ」は人が望んで手に入れたいものであるため、時にその意味が表面的に理解されて「頭がいい」という言葉が一人歩きしてしまう実態があります。この連載を通して「頭がいい」人がどんな考え方や会話、行動を取るのか、また「頭のよさ」はどのように生まれ、彼らは受験勉強ではどの様に勉強するのか、具体的に分析していくことで、今一度「頭がいい」とは何か考え直すきっかけをつくれたら嬉しいです。「頭がいい」と言うと一見それが正義の様に聞こえてしまうこともありますが、あくまでも生活を豊かにする可能性のある一つのツールであって、全てを犠牲にしてまで手に入れるべきものではないと考えていることは先に伝えさせていただきます。
頭がいいから勉強ができる、勉強ができるから頭がいいのではありません。この2つは似ているようで実は全く逆の性質なのです。第1回の今回は、一括りに語られがちな両者の違いを明確にすることで、「頭がいい」とは何かという問いの答えに少しずつ近づいていこうと思います。
「勉強ができる」とは?
「勉強ができる」とは、与えられた情報を上手に操る力があることで、矢印の方向は自分に向かってくる受信型の能力です。外から自分に入ってくる情報をより速く正確に処理します。「勉強ができる」に含まれるのは例えばこんな力です。
・難しい言葉を難しい言葉のまま理解できる (理解力)
・煩雑な情報から共通点や相違点を見出して整理できる (分類力)
・過去に目にした情報を覚えられる (記憶力)
・割合や金額、人数など、大きな数や複雑な計算を工夫してできる (計算力)
・ヒントから類推して言外の意図を汲み取ることができる (読解力)
本やネット記事を読んで難しいから分からないと投げ捨てたり、分かろうとするのを諦めることなく、今まで触れてきた情報とつなぎ合わせたり、少ないヒントから推測したり、共通点を見つけて整理しながら自らの知の体型に組み込むことを理解力や分類力、読解力と言い、過去に得た情報を次の情報によって洗い流されることなく蓄積したり、100万×10万や1800の90%など、少し時間がかかりそうな計算を頭でパッと仕上げることを記憶力や計算力と言います。読解力、計算力の様にこれらのほとんどは名前がついており、学校の勉強や受験勉強を進めた先に獲得できる能力なのです。
どれもやっていることは共通していて、自分の前にある情報のピースをつなぎ合わせて一つの大きなまとまりをつくるパズルに似ています。そのパズルには最終形のゴールがある程度決まっているため、「勉強ができる」とは答えのあるものに対して、答えを導くことができるとも言えるかもしれません。
「頭がいい」とは?
「頭がいい」とは、どの情報を吸収すべきか自分で取捨選択し、そこに自分なりの解釈を加えて新しい発見や奇抜な言動に至る、発信型の能力です。自分がいる状況の中でそもそも何を取り入れて何を排除するのかを判断し、新たな価値を上乗せする創造的な営みであるこの能力には、例えばこんな力が含まれます。
・物事を鵜呑みにせず、先入観に惑わされない力
・自己分析が上手く、自分の立ち位置を正確に把握する力
・頭の中で考えている抽象的な概念を人にわかりやすく言語化する力
・多くの人が気付かなかった切り口で物事を捉える力
・周りを見て自分が何をすべきか察知する力
「みんながやってるから」を理由にせず、得るべき情報の基準が自分の中で確立されているため先入観を排除して物事の真相を捉えることができ、自分に厳しすぎず甘すぎない接し方をすることで他人の評価や批判に惑わされずに等身大の自分と向き合えます。また、言語化が上手いと情報の受信者であるだけでなく発信者となって相手に影響を及ぼすことができ、多角的で独自の視点があれば与えられた環境にいるだけでなく自分が環境を作る側に回ることができます。これらのより詳しい内容については次回以降に細かく追っていきましょう。
これらは共通して、答えのない問いの正解を自分でつくりだす行為であり、人の指示に従うだけでなく自分から考えて行動しなければ身につかない能力です。台本にないことを自分で生み出すアドリブ力とも言えるかもしれません。
まとめ:2つの違いは矢印の向きの違い
「勉強ができる」とは自分に向かってくる情報を捌く力であり、「頭がいい」とは自分から外側に向かう価値を創出する力、つまり両者はベクトルが違うものだと思っています。前者は答えのある問いを速く正確に導き出す能力であるのに対して、後者は問いを自分で作り出し、答えのないその問いを自分なりに創り出す能力である、どちらも重要で相反する力なのです。だからこそ勉強ができるから頭がいい、頭がいいから勉強ができる、と安易に考えることはできません。
「勉強ができる」を裏返すと見たことのないものに対しての耐性が弱いとも言えますし、「頭がいい」を裏返すと問い自体を自分で立て、答えを自分で決められるからこそ最後まで辿り着いていないのに途中で諦めてそこを「答え」としてしまいかねません。勉強ができても与えられた枠からはみ出した思考や行動ができない人や、頭がよくても最後の詰めが甘くて思うように結果が出せない人もいます。両者は反対の性質である一方、どちらとも持ち合わせれば互いの弱点を補完し合える存在でもあるんですね。
今回は「勉強ができる」と「頭がいい」の違いを認識し、一緒くたに考えないようにすることをゴールにお話ししました。次回以降は「頭がいい」とは具体的にどういうことなのか思考編・会話編・行動編に分けて、今まで僕が出会った人の例を挙げながら分析していきます。
著者紹介
藤原 遥人(ふじわら はると)
学校で教えないことを高校生が中学生に教え、勉強の面白さを伝える塾、寺子屋ISHIZUEの創業者。現在開成高校3年生。受験指導ではない、自分で考えて人に伝える力を育てる塾の運営経験から「誰かに何かを教える」教育の難しさを実感し、自らの学を深める大学生活をおくるため受験勉強に奮闘中。趣味はピアノとサッカーとダンス。