【連載:数学と言葉】第4回 論理の言葉使いその2「すべての」と「否定」

「すべての」と「存在する」

数学では条件とともに議論がなされます。条件とセットになる言葉が「すべての」と「存在する」です。「〜はすべての条件をみたす」「〜という条件をみたすものが存在する」のように用いられます。

例えば、次の2つの例文を比べてみましょう。
(例1)「2の倍数である自然数はすべて、その一の位の数字は2である」
(例2)「一の位の数字が2である2の倍数が存在する

例1は誤り(一の位の数字は0、2、4、6、8のどれか)ですが、例2は正しい主張です。数学では「すべての」と「存在する」の区別なくしては議論が成り立ちません。

しかし、日常では「すべての」と「存在する」の区別が曖昧になる場面が多々あります。

「だって、これはみんな持ってるんだから!」

子供が親に向かってこう言っておもちゃをせがむ場合の「みんな」は「すべての」の意味です。

「みんなって誰なの、言ってごらんなさい」で論破されてしまう“かわいい”主張です。「すべてのクラスメート」「学年全員」「全校生徒」と範囲を限定できていない「みんな」に主張の弱さがにじんでいます。

もし本当に「みんな」であることが確かめられているとしたら「みんな」などと子供っぽく言うのではなく、数学をまねにして「すべてのクラスメートに確認したんだから」と言った方が説得力が大きくなるでしょう。

ある大人が次のように言ったとします。

「昔に比べて最近の子供は身体が弱い」

この言い方では「身体が弱い子供がいる(存在する)」といいたいのか「すべての子供が身体が弱い」といいたいのかはっきりしません。はっきりしない言い方がまさに日常の言葉使いの特徴です。そのおかげで、あいまいなまま話が進むことができます。反対にそのせいで議論はまったくかみ合わず、建設的にならないことも多いといえます。

理想は誰もが自分の主張が正確に表現(語れる)できるようになることです。そのためには数学の議論はうってつけなのです。よく数学を学ぶ理由に「論理的思考を身に着けるため」と言われますが、それよりも有効なのは数学を学んだ結果です。数学を学ぶことで、日常生活の言葉使いがブラッシュアップされます。自らが言わんとしている主張を正確かつ精確に語ることができるようになる、これこそ数学の効用です。

しかし皆が数学の言葉使いを用いて議論することは難しいのも現実です。議論するメンバーの中に数学的態度──あいまいな主張に対しあいまいさをなくすことで主張をはっきりさせるところから議論を始める──を持つ人がいる(存在する)ことが議論を建設的に行うために必要です。

「否定」

否定の言葉使いで問題になるのは、その否定がどこにかかるかがあいまいになることです。

「a、b、cはすべて0ではない」

という文はどのように解釈できるでしょうか。

解釈その1「a、b、cの中に0に等しいものは存在しない」
解釈その2「a、b、cの中に0に等しくないものが存在する」

解釈その1は「すべて(0ではない)」
解釈その2は「(すべて0)ではない」どれか0でないものがある
という否定の言葉のかかり方の違いによる解釈の違いです。これはどちらも解釈可能です。ちなみに、これらを数式で表現すると次のようになります。

解釈その1 a×b×c≠0
解釈その2 |a|+|b|+|c|≠0

この否定のかかり方は日常の言葉使いでも問題になりますが、それは誤解を与える可能性を考慮した丁寧な表現が重要になります。

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